50年目の岩井海岸
この夏は何時にもなく感傷的(^^ゞ。
50年前の夏、実際には8月の最初の週末、小学校の臨海学校で初めて訪れた地(海岸)。
記録に依れば8月最初の週末、調べると1968年8月、1日(金)〜3日(日)で間違いないようだ。
小学校6年生の夏の行事。現在の様に道路事情は良くもない。自慢じゃないが、当時の千葉県って、幹線道路の整備は劣悪で、舗装率は全国最下位と思われ(×_×)。今や館山道で1時間少々と房総半島南端までは近くなったものだ。
当時の各駅停車でどのくらい掛かるのかは不明だが、現在の時刻表(JRサイトなど)を見ても50年前とそう変わる訳ではないようだ。当然特急列車など無い時代。wikiによれば木更津以降の電化が1969年、完全電化が1971年、記憶通り気動車(ディーゼルカー)で間違いない。
日中は現在も1時間に上下1本!
反対側のホームへは歩道橋だが、もしかすると当時は簡単な踏切だった(昔の新検見川駅のように)のかも知れない。自動改札の機械がぽつんとあるのも今風で感慨深い。何故なら当時は無人駅ではないはずで、昨年までみどりの窓口、5年前まではキオスクまであったそうだ。かなり残念。もっと早く気づいて訪れば良かった。
現在の駅舎は1997年完成とのこと。
低気圧の影響で、風が強く砂が飛んで痛い。
泊まった施設は千葉市と契約していた民宿のようで、広い畳の部屋にごろ寝の合宿状態だった記憶がある。女性教諭が担任だったが、記憶にあるのは他のクラスの男性の教諭と校長・教頭。
宿が港に近い方だったので、海岸中央やや北の海水浴場までは徒歩。到着初日の好天に浮かれて、水際を歩き叱られたのを憶えている。暫く謹慎で、海に入ることが出来なかった<苦笑。スイカ割り、キャンプファイアーをした。
岩井のもう一つの売りは里見八犬伝の舞台、富山(とみさん)。二日目の午前中は富山登山(トレッキング)で、時間の関係で実際は山頂まで到達せず、途中の伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)付近で折り返した。約5〜6名のグループで朝食代わりの菓子パン一個持って出発。私は1組の1班だったので学年最初のスタートだった。