S川F樹の亡霊

 
 決してサイエンス・フィクション関連の話題ではない。オーディオ評論(家)についてである。   
 
 
 最近特に気になるのは、彼(ら)の亡霊の話題をしばしば目にすることだ。彼(ら)の文章がもてはやされ、今また昔を懐かしむ奇妙な連鎖が起きている。「昔は良かった」って?。
 更に問題なのは彼だけではなくI崎C明(この際敬称は省略、だって、例えば今話題の村上春樹だって本人の前で無ければ基本呼び捨てでしょ。)もだ。
 
 確かに情報も物量も少ない時代だったし、そもそも彼ら(の文章も)には人を引きつける大きな何かがあったのは事実だ。かく言う私もS川氏の「文章」にかなり影響され、先日処分したJBLのモニタースピーカを購入したのだから。だが、彼らの「文章」を全て受け入れたわけでないし、むしろ後年の彼の音の好みに違和感を覚える部分も多くあった。だが、評価軸に関してはかなり参考にしていたのも事実。
 
 現代の情報も物量も過多な時代に彼らが今も生きていたら、どう生き残れたかははなはだ疑問。むしろ不足していた「古き良き時代」だったからこその「良さ」だけが光っているに過ぎない。
 
 
 
 
  
 かつてオーディオ評論家は、ラジオ少年や技術者崩れ、あるいは録音技師やレコード解説者たちだったが、今や単なる元雑誌編集者なのだ。適正か非適正かあるいは好きか嫌いかを別にしても、そいつらが「先生」なんて言うのも言われるのを聞くのも全く持って奇妙だ。
 
 
 
 
 
 

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