連鎖

Posted 12月 24th, 2006 by kimura No Comments

 またまた驚愕的なニュースだ。松下が日本ビクターを売却の方針。相手先はケンウッド。つまりリストラなんだ。
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 思えば家庭用ビデオのベータ・VHS戦争の勝者は、ビクターの開発したVHSだったし、ブラウン管テレビの基本技術も日本ビクターの高柳氏によるものだ。だがVHSを除けば、ビクターのヒット作はあまり見あたらない。そう言えば、HDDムービーとかD-ILAプロジェクターが最近の目玉商品にしかすぎない・・・
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MS版iPod対抗策

Posted 8月 1st, 2006 by kimura No Comments

 これが噂の、マイクロソフト製iPodこと、「zune」か・・・。噂では、大型ディスプレイ、30GB、FMチューナー内蔵など。まあ買わないアイテムなので、どーでもよい<自爆。
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意外に早かった

Posted 7月 19th, 2006 by kimura No Comments

 SONYからハイビジョン対応のHDDムービーが登場!
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 うむむ、もうちょっと小さければな・・・・・・<爆
 相変わらずの新規格が好きなSONYだが、このAVCHDというのはつい最近発表された規格で、「1080iや720p方式のHD信号をH.264/MPEG-4 AVC方式で圧縮し、8cmDVDディスクに記録するビデオカメラ用規格」のことだ。松下と共同で発表された規格で、松下の方はSD( HD HC )カードを使用したムービーの開発を発表している。SONYとしてはBDや PSP PS 3 を対象として機器を展開する予定らしいが、おもしろいのは賛同している企業にアドビやキヤノン、サムスン、シャープがあるのに、ビクターやアップルが無いことだ。個人的に意外だったのはSONYがHDDムービーで対応した点である。つまり、プロ機を含め松下が4G以上に対応したSDカードで展開を計画しているのに、お得意のメモリースティックでは無かったということなのだ。確かに(恐らく中国製の)海賊版でいろいろ問題になっているメモリースティックに未来はないが、まさかこんなに早くDVテープからHDDへ展開するとは、今までのSONYからすると考えられなかった事だ。
 相変わらずタイマーが働いているのかは知らないが、PowerBookばり?の新型VAIOノートのクリーンなデザインを見ると、SONYは良い方?に変わりつつあるのかもしれない。
 しっかし、SONYで「ゲッ?」なのは、HDDからの転送端子がUSB2.0であることだ。まあDV規格でi-Linkをやむを得ず使ったという感じだし、VAIOなんかわざわざ別端子でACを供給しているんだから、救いようがない。お得意の独自規格の乱発は、今の時代誰も喜ばない。

MUSEの終焉

Posted 3月 23rd, 2006 by kimura No Comments

 ついに、いやもう?BSアナログハイビジョンの放送終了が告示されてしまった。
 我が家のハイビジョンテレビは、8年前の長野オリンピックを視るために購入したものだ。当時、考えられたベストの機材を選択したつもりだが、この8年の間に録画機材はW-VHSなど消え失せ、HDD&DVDレコーダーになり、36インチブラウン管はフルスペック平面テレビと、そして放送はBSデジタル放送と地上波デジタル放送へと大きく変化した。
 よほどのことがない限り家庭の事情でテレビを買い換えられないので(が、ガマンじゃ・・・)、仕方ないので地上波デジタル&BSデジタル・チューナーを買うか、デジタルチューナー内蔵HDDレコーダーあたりを買うしかない<とほほ。

ノスタルジー?

Posted 2月 25th, 2006 by kimura No Comments

 Yahoo!オークションで、1960年末期に発売されたSONYの超小型ラジオICR-90が出品されている。当時の価格は¥9,800。決して高くはないが、安くもない。かなり状態の良い商品のようだが、当時の売値から始まった現在の価格は後1日を残して¥112,000!
 この1/3ぐらいなら私も十分に欲しいと思ったが、全く驚きである。だがやはり、当時のSONYの神通力を痛感する。このICR-90は、1967年に登場した世界初の超小型ICラジオICR-100の後継機種で、1979年にIC-120とともに世界最小ICラジオとして登場する。
 それに先立つ1966年と言う年はSONY初のカセットテープレコーダーTC-100が発売され、1968年は一躍代名詞になった「1ガン3スリービーム」のトリニトロンブラウン管を搭載したカラーテレビが登場する年でもある。
 ちなみに大阪万博の翌年1971年にはUマチック・カラービデオカセットテープレコーダーが登場。 参考文献Sony EMCS年表

三洋とソニー

Posted 1月 7th, 2006 by kimura No Comments

 SANYOは背水の陣なのでしょうか? 家電撤退でAV部門がリストラの対象と聞いておりますが、その昔はS-VHSの名機で名をはせ、今もホームシアター用のプロジェクターで頑張っている。そんなSANYOのHDDムービーの新型がHD規格、つまりハイビジョン撮影(フルスペックではないですが)を可能にしたとなれば、これは拍手です。記録媒体はSDカードで2GBで720P約42分ならこれも十分。約$800ってのも凄いじゃない!
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 今日の話題は、現在ラスヴェガスで開催されている「CES 2006(コンシューマエレクトロニクス展示会)」での記事からだが、SONYからようやくHDDタイプのムービーが登場。30GBで、DVDへ直接記録できるなど工夫もみられるが$1,100。
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 多分フルスペックに拘ったのだと思うけど、また後手だね、SONY。

貧乏人の戯言

Posted 11月 24th, 2005 by kimura No Comments

 今日は「地上デジタル放送」についての「ぼやき」、いや「ぼ・やっき?」である。
 すでにご存じのことでしょうが、現在放送されている「地上アナログテレビジョン放送」は2011年7月24日で終了し、それ以降は全面的に「地上デジタルテレビジョン放送」へ移行する。つまり2011年7月24日をもって、現在普通に使われているテレビがそのままでは映らなくなる。ただし、UHFアンテナと専用チューナーを介しさえすれば、現在のテレビでも放送を視ることが出来る。
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 すでに多くの地域で地上デジタル放送は開始されており(2006年12月までには全ての地域で放送が開始される)、先取りして地上デジタル放送対応のテレビや専用チューナーを導入し放送をご覧になっている方もいらっしゃるだろう。
 実は当家のテレビは、長野オリンピックの時に買ったブラウン管の旧タイプで、ハイビジョン対応ながらデジタルハイビジョンチューナーがまだ無かった時代の骨董品である。個人的には、なんとレセコン用のDELL製モニターにPSXを接続して、もっぱらケーブルテレビを楽しんでいる。
 我が家のある千葉市は、電波を発射している東京タワーとの間を東京湾という障害物のないロケーションながら、距離的に船橋市は当然ながら市原市にも直線距離で劣っており、東京タワーの指向性が三玉方向であるということ、さらに反対側の池袋の高層ビルからの反射波でゴーストが出ることにより、電波状況は悪い上に住居周辺のビル・丘の影響で満足に電波を受けることが出来ない。従って共聴アンテナか、ケーブルテレビに頼らざるを得ないのだ。
 さて、私の実家では当家の骨董ブラウン管より旧いリアプロがとうとう限界に来て、やむなく新しいテレビを探し始めたが、我が家はまだまだ「待ち」である。理由はいろいろあるが、差し当たって困っていないこと、この先6年の間に登場するであろう新製品や新技術、そしてコストダウンは想像も付かないであろうからだ。
 ようやくデジタルチューナーを複数内蔵し始めた機種が登場してきたが、中止するアナログチューナーまで内蔵っていうもの何やら気にくわない。やはり設置体積的に「薄型」を選ぶつもりだが、フルスペックハイビジョン対応機種が少なく高価なのも「待ち」の理由なのだ<撃沈。

パイオニア

Posted 11月 21st, 2005 by kimura No Comments

 今朝の読売新聞で、パイオニアが業績不振のため会長・社長が引責退任するとの記事を見た。「パイオニア」と聞いてどんな事を連想されるであろうか? 現在の私は、クルマのナビ「カロッツェリア」。法花堂先生の紹介で導入して、かれこれ4台目のナビを使用しているが、「DVD楽ナビ」は反応が若干遅いながらも、タッチパネルのお陰でとても頼りになる。ただし、中距離の渋滞情報や(当たり前だが)裏道には十分対応できていないけど・・・。
 1970年代のパイオニアはやはりオーディオ製品が主力だった(と思う)。特に国産スピーカー部門では、ダイアトーンと双璧をなす存在であった。当時はアンプの自作も盛んで、雑誌掲載された記事のリストを持って、秋葉原で部品を調達しアルミのシャーシに穴を開け、半田ゴテを握り作った事も懐かしい。流石にレコードプレーヤーやテープデッキの自作は困難だったが、それでもレコードプレーヤーのキャビネットや、スピーカーのキャビネットは木工自作が可能だった。そんな自作スピーカーキャビネットによく選ばれたスピーカーユニットが、ダイアトーンやパイオニアなわけで、特に当時流行し始めたマルチアンプと共に専用帯域をもつスピーカーには、特にパイオニア製品が好んで使われたものだ。
 
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  現在のシステム(ミニ)コンポの様に、よほどのマニアか豊富な予算がなければ当時も統一したメーカーで製品が選ばれた。私が選んだメーカーはトリオ(現在のケンウッド)、無線機のメーカーだったのでFMチューナーが優秀なことと、デザインが好みだったのが理由だ。当時FMはわずか2局しかないのに・・・と思われがちだが、高価なLPは当然EPさえも小遣いで買い集めるには中学生の身分では不可能だった。従って番組が豊富なAM局を主にエアチェックし、週間FM誌でステレオ放送を待つという、涙ぐましい当然の?努力をした。当然友人たちとレコードの貸し借りは当たり前だったけど。
 今やネットで安価に曲がダウンロード購入でき、更にほとんど違法なアップロードさえ容易に見つけることが出来る時代。高画質を売り物にしたレーザーディスクが過去の物となり、オーディオもお手軽になってしまった。パイオニアはいったいどこに行くのであろうか? テープデッキが骨董品となってしまったTEACが、パソコン部品で復活したように、パイオニアにも「カロッツェリア」だけでなく新たな道を築いて貰いたいものだ。
 そう言えば、金子先生の診療室のスピーカーはマルチセラホーン付きだったが、パイオニアなのでしょうか?
ダイアトーンの名前が出た所で、ダイアトーンが高級スピーカブランドとして復活するようだ。
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 NHKに納入されたことから伝説になった2S-305モニタースピーカー。だがフルレンジユニットのP-610Aの方がずっとオーディオマニアばかりでなく音楽ファンに評価が高かったことは想像に難くない。ダイアトーン、その名の通り三菱電機。・・・三菱グループだ(意味不明)。