少々お待ち下さい 8月が終わっちゃった?
実は少量だが作ってあるが、訳ありでアップしてなかったり、中断だったりと…。
最近忘れ物が多くて、実際アルツハイマーじゃないかと心配。
合宿にもカメラ忘れるし、ホテルにはゲーム機忘れるやらで、困ったものだ。
従って合宿の画像は無し!(涙)
と言うことで政権交代も成り、8月を大急ぎでまとめましたよ?んwww。
実は少量だが作ってあるが、訳ありでアップしてなかったり、中断だったりと…。
最近忘れ物が多くて、実際アルツハイマーじゃないかと心配。
合宿にもカメラ忘れるし、ホテルにはゲーム機忘れるやらで、困ったものだ。
従って合宿の画像は無し!(涙)
と言うことで政権交代も成り、8月を大急ぎでまとめましたよ?んwww。
先日某サイトから、次の情報を得て若干驚いております。
1)FEEDをオリンパスが買収
2)シロクスをKAVOが買収
3)iiyamaをマウスコンピュータが吸収合併
2)は遅きに失しているような感がありましたが、さすがに1)には驚きました。3)は逆に思ってましたが、もともとグループ子会社だったのですね。
そう言えば、HOYAがPentaxを吸収合併しますし、百貨店関連でも既に経営統合している西武+そごう、阪急+阪神、大丸+松坂屋、に続き三越と伊勢丹が経営統合します。業界再編成の波が相変わらずなのでしょうが、先日テレビで町工場の実状をレポートしていました。特殊な技術を持った工場は持ちこたえていますが、大手の下請けだけの工場は倒産一歩手前のようです。健康保険に依存している弱小歯科業界も、間違いなく同じ路線を進んでいるように思えます。よく「医は仁術」でなく「医は算術」かとの批判も多いようですが、基本的に何か大きく間違えていると思いますね。
テレビで脳内メーカーというのをやっていたので、試してみた。
まず、本名を・・・!?
え??これ、まずくね?っ??全部「休」って、当たっている?
姓名の間にスペースを入れないようなので、再トライ!
ほえ?、今度は全部「遊」かよ?当たりすぎ??
ではここの管理人名で・・・
おおっ!これなら、新年から縁起が良いぞ!!
別にご報告することがない・・・。金もないし、気力もない・・・とほほ。
さて先程、ハリーポッターの最新作の先行ロードショーに行ってきた。なんと初めて長女がつき合ってくれた<恥し?&嬉し?。一番最後に行った先行ロードショーはスターウォーズ3だった。ネタバレになるが、今作の「炎のゴブレット」は両親の敵である宿敵ヴォルデモートが復活する、若干暗い話でもある。個人的な趣味になるが、今作の音楽がSW等で有名なジョン・ウィリアムズから変わった。やや重厚な、コンサバとも言えるようなクラシックのような雰囲気だった。好き嫌いはあるだろうけど、個人的にはジョンウィリアムズの起伏のある旋律の方が良かったな・・・。
も一つ、宮崎で開催中のダンロップ・フェニックストーナメント。流石のタイガーが首位で最終日を迎えるが、久々のデイビッド・デュバールが好成績なのが嬉しい。確か2001年の開幕から無敵の強さを誇った彼が、この数年スランプで低迷していたのだから。
結局ウッズが連覇したわけだが、多少の故障さえほとんど表情に出さない、そしてプレーにも出さない強さが世界一の証なのでしょう。女子ゴルフの宮里の優勝も凄い。
そしてなによりマラソン高橋尚子の劇的な優勝も見事っす。ただ、今後の彼女に悪い影響が無ければよいのですが・・・。
おおっ、プロサッカーも千葉かよ?
ほんと嬉しいやら、恨まれそうやら・・・
JリーグとかJEFより、元実業団の「古河電工」の方が感じが出る、っていう私は古すぎですかね?<爆
私がまだ小学生の低学年の頃は、国鉄千葉駅も木造でした。現在のように東京方面と直通になっているのは成田・銚子方面だけで、内房・外房方面は文字通り千葉が始発でして、東京から直接内房・外房方面には行くことが出来ません(スイッチバックする必要があった)。現在のJR千葉駅は、それを解決するため1963年に数百メートル東京方面に新設されました。当時国鉄千葉駅のあった場所には、現在千葉市民会館という建物があり、知らない人が見ると妙な所に妙な方向に走る道路(南側に東西に横切る道路とそれに交差する2本の道路)がある交差点に気づくはずです。また、すぐその裏手にはJR東千葉駅と言う、我が家に最も近く極めて小さい駅が(1965年に新設)あります。余談でですが、現在のJR千葉駅付近には機関車区があり、蒸気機関車の転車台や石炭・水を補給する施設や車庫が駅のホームから見えた記憶があります。蒸気機関車も小学生の時までは千葉県内で稼働しておりました。
さて緩行線とは各駅停車のことですが、1960年台初頭は千葉県内には特急とか急行は無く、準急というディーゼルカーが走ってました。私の出生地は母の故郷である現在の佐原市なので、準急に乗れば千葉から以遠は佐倉・成田とわずか二駅を経れば佐原に到着する事が出来ました。
「成田線」とは比較的良く聞く線名ではありますし、実際滑走路問題で現在も問題になっている成田空港へJRで行く場合は、成田線へ乗り入れている総武快速か成田エクスプレスに乗ります。しかし、本来の「成田線」とは少々複雑でして(泣)、(1)佐倉?成田?松岸、(2)成田?我孫子、(3)成田?成田空港と、実は三つの路線があるのです。そして(2)の成田?我孫子間(いわゆる「我孫子線」)が本線だったのですが、常磐快速線が乗り入れしているために現在は支線となり、(1)の佐倉?成田?松岸(銚子市)が本線となり、第三セクターとの合同事業で(3)の空港支線が存在し、都合3つのあたかも成田を中心として四方に足を伸ばした格好の路線であります。成田空港へのアクセスとして最も有名なのが「特急・成田エクスプレス」で、終点?は成田空港ですが、東京駅から大宮・高尾および横浜・大船(一部、小田原)へ分割(逆なら連結)して運転されております。
話を戻すと、いわゆる「総武本線」は千葉以遠の路線を指すわけで、千葉?佐倉?成東?八日市場?銚子の区間のことです。しかし前回解説したように御茶ノ水?千葉間の総武緩行線(各駅停車)と東京?千葉間の総武快速線をも含めた路線が正式の総武本線となります。
また脱線で恐縮ですが(爆)、話がまたまた複雑なのは、総武快速線は西は横須賀線、東は成田線といわゆる総武本線へ、更に南に内房・外房線とも乗り入れしているのです。一方各駅停車の緩行線も、基本的に三鷹まで直通運転され、朝夕は津田沼?西船橋間を地下鉄東西線も乗り入れしております。
現在の様に複雑?に変化したのはどうも電化と複(々)線化の影響らしく、佐原を経由する路線は銚子方面ではなく鹿島方面へのアクセス重視に、銚子方面は成東・八日市場経由の、いわゆる総武本線重視に移行したと思われます。佐原駅は直接の分岐駅ではないのですが(実際は次の香取駅で)、佐原?鹿島サッカースタジアム間は鹿島線と呼ばれ、実際は鹿島神宮まで旅客は運行され、鹿島サッカースタジアム間は貨物のみが運行されているそうです。ですから私が子供の頃のようなにぎわいが佐原駅周辺に無くなってしまったのも、そう言う影響もあるのかもしれませんし、佐原始発という今はない懐かしい思い出になってしまいました。
貨物線のことなので余分なのですが、実は総武本線は新小岩から北に延びる単線が存在します。これは小岩?越中島貨物および金町へ延びる二つの貨物単線であります。国道14号線の新小岩付近を走ると、多数の立体交差に出合いますが、その一つに電化された線路があって、ずっと解けなかった謎がこれだったのです。
昨晩錦糸町で千葉方面の快速電車を待っていた時、特急で「成東行き」というのを初めて見て驚きました。成東市民の皆様、ごめんなさい!さて、残るは千葉以南と私鉄です。(気の向くままにつづく)
千葉県内のJR線はその成り立ちからやや複雑でありまして、まず東京方面の総武線(快速)終着であるJR千葉駅を中心として二方向に分岐します。東に向かう成田・銚子・鹿島方面の成田線・総武本線と、南に向かう外房・内房線です。
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少々脱線しますが(笑)、「総武線」というのも実は千葉県内では複雑で、恐らく「上総(かずさ)」「下総(しもうさ)」という房総(半島)と武蔵国(むさしのくに)とを結ぶ路線名なのですが、単に「総武線」と言う場合は三鷹?千葉間の各駅停車の黄色い電車の「中央・総武緩行線」と東京?千葉間の青い快速電車「総武快速線」(横須賀線へ乗り入れしている)を指します。一方いわゆる「総武本線」というのがあり、基本的に千葉?銚子間を指すのですが、正式には「総武本線」は総武線各駅+快速と「いわゆる」総武本線を合わせた名称とのことです(あ?まどろっこしい!)。で、更に複雑なのは、もともと「御茶ノ水」が起点だったのが東京駅乗り入れの結果起点が東京に変更になったものの、緩行線の錦糸町?御茶ノ水間もそのまま移行したため、「総武本線」は東京?千葉?成東?銚子+錦糸町?御茶ノ水という少々変わった路線になったとのことです。さて、こういう路線が実は千葉県内にかなり多いことに驚くのですが、これはまた次回。
インターネットに繋いで(って言い方はおかしいかな?)、早5年になる。導入する時期として遅かったのか速かったのかは判らないが、当時はもろアナログの電話線だったので相当遅かった。そんなこんなで悪戦苦闘するうちに、趣味の分野から多くの友人が出来た。そんな経験はとても斬新で嬉しかったし、また驚き興奮した。更にほとんど同じような趣味だったり、実は近くに住んでいたことがあったり、はたまた普通ではほとんど会うことも出来ないような遠方にお住まいだったりと・・・
そんな友人の一人で、旧Dental D1Clubを立ち上げたり義弟の診療室のHPを作ってもらったり、とお世話になっているのが由比敬介氏だ。現在もサーバーを管理・賃借させてもらったり、ネット関連のいろいろな相談に乗って貰ったりとすっかりお世話になっている。実はこのBlogも基本的に彼のアドバイスで立ち上げることが出来ている。そんな先生みたいな友人が居ることはとても幸せに思うのです。
さて、前置きが長くなってしまったが、今日のログはかなり短い<汗。そして話題も「カップ麺」<爆。
1971年に登場したエポックがカップ麺であった。日清の「カップヌードル」 これはある意味革命であった。確かに同じ日清からチキンラーメンで代表される、熱湯をかけて食するインスタントラーメンと現在主流の麺を鍋で茹でるインスタントラーメンがあった。だが入れ物付でポットのお湯でも麺が煮える?カップヌードルは衝撃的であった。
私の父は、夏休みになると家族総出でドライブ旅行に出かけた。私は好き嫌いが激しかった上、食が細かったため母は相当困ったようだ。だがそんなとき、カップヌードルが登場した。確かにあまり美味しいというものではなかったが、クルマの中などで簡単に食出来るというのは良かった。、箱ごと購入し、ポットを積んで旅行した時さえあった。だが、地元での味覚も大切だと言うことになり、それきりになった。今でさえ様々な種類のカップ麺が発売されているが、当時はたった一種類、しかも今より味は・・・ゴニョゴニョ<汗 そんな懐かしい思い出が、カップ麺が登場した時代にはあった。