稲荷神社(日曜午後散歩 5)
よくここで遊んだ。飾り壁にしがみついたり、慰霊碑台によじ登ったり。
老朽化がひどくなっている。社務所は入り口に移ったか?
寒川ダンジョン(日曜午後散歩 4)
当時住んでいた稲荷町の家から寒川1丁目の小学校までの通学路。オうちの私でも、高学年になると帰りは地元の同級生と一緒に「探検」だ〜!
一時期小学校の小門があった南側の向かい。「寒川町二丁目自治会」館脇の路地。ここがダンジョンの入り口。
最初から斜めでちょっと判りにくい。が、どんどん狭くなり、やがて直角に曲がる。
だがこのまま直進でも「行ける」のだ。 実はこの付近、明確な塀を持つ家が少ない。家と家の間を通行しちゃう。家の玄関、庭、など当時はお構いなしに自由自在に通路を選べたのでR。
そして不寝見(ねずみ)川に突き当たる。実はこの(どぶ)川(^^ゞ、県文化会館の脇から地上に出て、千葉高の下を南下し、末広中をなぞるように直角に西に曲がり、ここに至る。日曜日午後お散歩の道筋そのまんま。
日曜午後散歩 3
末広二丁目交差点。この赤い建物は旧銚子信用金庫末広支店、隣はスイミングクラブ。画像に無いが左手前は自殺してしまった元同級生の仁藤君のお家。父親同士が小学校の同級生で、私の妹同士も同級生だ。
今や高架になってしまったが元踏切。
旧第三尋常小学校。親父も通っていたが、貧しい時代だったので卒業できなかったらしい。
現在の正門は体育館側に。昔は反対の海側、旧道から。今や区画整理され、亡くなった鈴木君の生家も無い。
現在の正門入ってすぐの築山は、私の時代に出来た。まだある!
タイヤの遊具も懐かしい。
一番北側の西側にあるこの部分が最初の鉄筋校舎。通路の奥は卒業の年に完成した。
お約束のオオツカ文具店と、その向かいの市場郵便局。
別の場所に「市場町」と言う町名があるが、この近くにも市場があったのだろうか?
日曜午後散歩 2
千葉高の正門出てすぐ左に恐るべき?隠れ道が存在する(^^)。
坂を下り更に左に進むとやがて大網街道に出て、葛城下というバス停。昔この近くには派出所があり、この交差点を巡査が交通整理していた。このバス停の左の丘の上は現在マンションだが、私が高校生の頃まで、外人が塀無しの素敵で立派な家を構えていた。
この交差点が葛城、千葉寺、末広一丁目、先が末広二丁目の境界。
先程の葛城下の交差点を折れてすぐの左には比較的大きな公衆浴場があったのだが。
末広中学校界隈でおなじみなのが、安藤文具店と石毛甘納豆工場だが甘納豆屋は既に無い。工場の店先で、全く食べきれないほどの甘納豆が格安(¥10?)で買えたものだ。
恥ずかしながら、この文具店は利用したことが無い。校内の購買でほとんど全て必要なものが揃った。
小学校中学年まで学校にプールが無かったため、中学までプールに入りに来たことがある。
夏休みはプール開放日があって、何度か来た記憶があるし、友人が高校か大学の頃プール見張りのバイトをしていた。
日曜午後散歩 1
久々に午後散歩に。
まず手始めに、裏口から旧千葉大学病院へ(赤矢印)
ここの思い出は、幼稚園時代に遡る。昭和30年代半ばの千葉市のバス路線は現在ほど住居が多くなかったため、バスターミナルではない乗り継ぎの拠点が、この千葉大学病院にあった。
ここは裏門で、中学時代にはこの後に訪れる千葉寺の中村病院脇の坂とこの坂道を自転車で下るのが快感。
それに今ほど交通量が少なかったのだが、今やったらそれこそ自殺行為だし。
なにやら小説に出てきそうなバス停「病院下」<苦笑。旧病院だが、現在も医学部で使われていることに驚く。
病院自体は既に奥にある新館に移っている(地図参照)。
そう言えば千葉モノレールの駅を作ることに反対していたとか。結構不便な場所。
パンデミックなどを用心してと言うのも、判らなくは無いが・・・
大学正門から丘の下に千葉県文化会館。多分関東地方の県立文化会館で最も古く小規模なのでは?<苦笑。
旧千葉大学教育学部附属小学校跡地に建つ県立図書館。私も受験の時には右奥にある自習室に通ったなぁ。
まだクリーニング店があるが営業しているのだろうか?この狭くうねる道の先が坂道で、高校正門へ繋がる。
今は中学も。
聖地巡礼
以前より気になっていた「Just Because!」の舞台である湘南モノレールを乗りに行った。
思い返せば1974年の夏に北鎌倉に降りて、天国ハイキングコースの半分を若さに噛ませて走り巡ったあげく、帰路は江ノ電で江ノ島を経由して湘南モノレールで大船に至り、横須賀線と<苦笑。それからだから、なんと44年振りの訪問であります。
湘南深沢駅ホームから大船方面。ここから彼の物語は始まります。
鎌倉市立深沢中学校。話の中心はこの次の深沢高校ですが、第1話、最終話と登場します(*^^)v。
そして舞台の神奈川県立深沢高等学校\(^O^)/。