2006年11月アーカイブ

邪道1

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 あともう少しでの、Vistaが待てない(泣)。と、言うわけでBootcamp経由でXPを導入してしまいました。レセコンのせいです(とほほ)。

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 「素」のTigerでは全く問題ないのですが、何故かWirelessネットワークに接続できなくて(できるはずなんだけど)困ってます。まあ必要に応じて使い分ければ良いのですが、ただ再起動が面倒。それとキーボード!

 お気づきになったでょうか?

 XPではAppleキーボードが使いづらいので、仕方なく安めのキーボードを調達しました。これが予想外に、てかそれなりに、いや結構快適(苦笑)。けど、Mac OSで使うショートカットで使うのが、コマンドキーに対しWindowsではAltキーと、位置が若干違う(隣なんです)のが使いづらい!(困)。Windowsキーに変更できるソフトがあるのかな??


 次はParallels Desktopに挑戦したいのだが、有料で結構高い・・・。その前にCrossOver Macかな〜。

 
 皆様お考えのように、単純にDOS/V機を買えばよいことなのだが、普段の使い勝手はOS Xの方が圧倒的に慣れているので仕方がないのですよ。ただし、予想外だったのがWindows XPの反応がVirtual PCとは比べものにならないほど快適というか、圧倒的というか、そのまんまDOS/Vマシンのようで・・・って当たり前か(笑)。だからMac OSもWindowsも、っていうのにAppleのマシンは便利なんです。

10周年記念

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 鄭先生、開業10周年おめでとうございます。
 
 益々のご発展をお祈り申し上げます。今後共によろしくお願いいたします。

蛇!

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き、気持ち悪りぃ〜<苦笑

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http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/

asahi.comより

D40(その2)

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 思いの外小さい・・・

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 ボディも小さければファインダーも小さそう。昔のEMみたいな、小粋さが欲しいと思う。そう言えばkiss DXも、ボディとファインダーは相変わらず小さい・・・。D200/D80を経験してしまうと、小さいファインダーはもうダメダメですな。

 11/3ポール・モーリア氏が亡くなった。81歳。

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 古くは「恋はみずいろ」、一般的には「オリーブの首飾り」で極めて有名である。また、「イージー・リスニング」という言葉を広めた一人でもある。

 1970年代、それまで「軽音楽」あるいは「ムード音楽」と呼ばれていたジャンルに「イージー・リスニング」という呼ばれるインストゥルメンタル・ミュージックが登場する。つまり、ボーカルがメインでない音楽が、大きくクローズアップされたのだ。実はそれ以前にも、例えばラテン系のマント・ヴァーニー、パーシー・フェイス、ビリー・ヴォーン、サックスのサム・テーラー、トランペットのニニ・ロッソ、そして映画音楽(実はテレビドラマ主題曲でもなんだが)で有名なヘンリー・マンシーニなど、多くの演奏家は存在した。
 しかし「ラヴ・サウンド(ズ)」という振りで、洗練されたヨーロッパの都会風のアレンジで台頭してきた一団があった。それが、ポール・モーリア、レイモン・ルフェーブル、フランク・チャックスフィールド、フランク・プゥルセルらだ。

 AMラジオの音楽番組で、ポップスやロックを主体とする洋楽と歌謡曲の番組に二分されていた当時、FMが試験放送からステレオ放送を売りに登場する。AMとの差別をはかるため、クラシックや「ジェットストリーム」のような番組多かったのも特徴であった。特に深夜0時に城達也氏の印象的なナレーションで始まる「ジェットストリーム」は、ボーカルの曲を使わないことが基本だったと聞く。さらにFM東京では、土曜日の午前中にも30分番組だったが、詩の朗読や気の利いたナレーションでイージー・リスニングを流す素敵な番組があった。その雰囲気が好きだった当時高校生であった私は、タイマー留守録でそういう番組を聴きあさったものだ。

 話が横道にそれてしまったが、私がそんなイージー・リスニングにのめり込んだきっかけをつくったのが、彼の「ポール・モーリア」であったし、その時の曲が「エーゲ海の真珠」であった。エレキベースやドラムを使ってロックビートを効かせ、女性スキャットやピアノばかりでなくそれまで古典音楽でしか使われなかったチェンバロをちりばめ、ドラマチックな編曲を施したこの曲はまさにポール・モーリアの真骨頂である。


 私がポール・モーリアを始めとするイージー・リスニングにのめり込んでいたのは、高校生の頃だった。当時は日本中で人気があったこともあったうえ、なぁんと!千葉市で公演があると判り、喜び勇んでチケットを取り、公演日を待った。まるでデートの日を待ちこがれるように(苦笑)。そう言うときに限って不幸が訪れるもんだ。公演は土曜日だったのだが、朝から発熱があり学校から帰ってきてどんどん具合が悪くなりとうとう起きあがることさえも出来なくなってしまった。結局叔父にチケットを譲り、生ポール・モーリアと生エーゲ海は涙と消えた・・・。そのコンサートに行った同級生によると、レコードとは全く違う編曲であったとのこと。現実とする夢は消えてしまったが、夢のイメージが崩れなかったのは幸運だったかも知れない。ポール・モーリアはその後も何度も日本で公演を行い千葉にも来たが、その「こだわり」もあったのかもしれないが結局私にとっての生ポール・モーリアは実現しなかった。やはりレコードのアレンジが彼の全てであったから。不思議な話だと思われるかも知れないが、レコード(CD)の演奏=アレンジとステージの演奏が同じなのは今や常識だが、当時は異なるケースの方が多かったのだ。だからステージで「レコード(CD)と同じ(演奏)だ」と言うのは、私にとってとても大きな問題なんですよ。

 「ラヴ・サウンド」と言う言葉が生まれた1970年代後半、イージー・リスニングのミュージシャンがこぞって日本で曲をヒットさせ、来日公演しレコードを売りまくった。FM東京では「ジェットストリーム」だけでなく、まだマイナーだった小林克也氏の流ちょうな英語のサブナレーションがインパクトのあった「ラヴ・サウンズ・スペシャル」というプログラムも当然私のお気に入りだった。テレビでもほとんど同じタイトルの番組があって、特に衝撃的だったのは同じ「シバの女王」と言う曲をポール・モーリアとレイモン・ルフェ−ブルでクロスさせながら放映したことだった。まさに当時の人気を二分するスターの共演なのだから。当然最初にヒットさせた後者の方に人気があり、ポール・モーリアファンの私もこの曲に関してはルフェーブルのアレンジ方が好きだ。でもアレンジがかなり似ているんだよね、二人とも。

 その後ディスコブームで、ポール・モーリアもディスコバージョン「恋はみずいろ」と「エーゲ海の真珠」をヒットさせたが、オリジナルを上回ることは敵わなかった。蛇足だがこの手で成功したのは、パーシー・フェイスの「夏の日の恋'76」だと思う。

 最後にポール・モーリアを視られなかった同じ千葉県文化会館で、レコードと違わぬステージの生レーモン・ルフェーブルと生ダニエル・リカーリに感激したことを白状しておこう。それにもかかわらず、私自身における「ポール・モーリア」の「位置」は不動だったのは当然である。

SKYLINE

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そうそう、新聞の広告にSKYLINEの予約受付、ってありました。

D40?

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 何もしないうちに霜月(汗)。
 まあ、お金が無いなりにいろいろ工夫してあがいているのですが・・・。更に、先月末にセールで購入したHDDにバックアップしているのですが、妙にレスポンスが悪い。ふ・し・ぎ。約7GBのコピーに10分足らずのファイルがあると思いきや(これが普通なんですよFireWire800の速度としては)、わずか数100MBのフォルダに1時間以上掛かったり。ちょっと判らない・・・。


 で「デジタル一眼マニアック」さまからの情報。「Terminal Musingsの記事より」Nikon D40の情報。

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・600万画素
・AF3点
・スポット測光
・2.5型 23万画素液晶モニタ
・SDスロット
・94×126x64 mm 475g
・AF-Sレンズのみ装着可

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 ファインダー次第だが、思い切った割り切り方は賛成である。もうちょっとデザインを何とかして欲しかった。昔のEMの様な、小粋さが足りないな。

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