2005年7月アーカイブ

真夏のゴルフ

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 今日は午前中は曇り、午後は晴れ時々曇りと、少し風が欲しいものの、絶妙のゴルフ日和でっす。朝は6時過ぎに目が覚め、夢遊病のように準備をする自分。昨晩練習に行ったのも良くなかったかも・・・と若干の心配を抱きながら、薄曇りの朝の空気の中、法花堂先生の迎えを待つ。

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おおよそ7ヶ月ぶりのゴルフ。Kyushikai Golf Bu、略してKGBと呼ばれるメンバーと一緒のラウンドはとても楽しい。

 心配したドライバーも、今日は機嫌が良かったみたい。ミスショットと、グリーン周り&上のノーカンは相変わらずだったが、かろうじて三桁は阻止に成功!おまけに夢のドラコンまでゲット<(やったあ〜、とアズラエル張りの狂喜)! 久々のホームコース(あ、メンバーではありません、念のため)も楽しい。


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 ただ、後半過ぎから雷雲が出てきはじめ、雷鳴が聞こえたのは、怖かった。恐らくこの雷かも知れないが、白子海岸で雷に打たれた方がいらっしゃるようです。無事であれば良いのですが(心肺蘇生で、無事回復。どうやら命には別状無いようです。良かったですね)。

 帰り東金自動車道の渋滞は、夏休みの休日を実感。昔、高校の友人に教えて貰った究極の裏道(途中一回道を間違えた!)を案内して無事帰宅。
 
疲れた・・・。

来月は県歯の委員たちとだ!初めてのコースだけど、また頑張ろう〜っと<笑

雷王星?

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 NASAが太陽系の10番目になる新たな惑星を発見したと30日発表したそうだ。海王星と楕円軌道で交差している冥王星との軌道より外側で、冥王星の約1.5倍の大きさとのこと。

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 タイトルは冗談で、OVA「トップをねらえ」で登場した架空の第10番惑星の名前であるが、果たして歴史は何という名前を刻むのでしょうか??

 ちなみに海王星は海の神Neptune(「お笑い」ではありません、念のため)、冥王星は冥界の王Pluto(くどいですが、浦沢直樹の鉄腕アトムのリメイクではありません、念のため)。

 もうひとつおまけ。天王星、海王星は中国で既に使われていた星の名前だったそうだが、冥王星の命名には他にも候補があって、アトラス、アポロ、アルテミス、エレバス、オシリス、クロヌス、コンスタンス、タンタラス、チマール、バッカス、 バルカン、ミネルバ、ローウェル(発見者の名前)などがあったそうだ。何かどっかで見たり聞いたことのある名前ばっかり。

 私がまだ小学生の低学年の頃は、国鉄千葉駅も木造でした。現在のように東京方面と直通になっているのは成田・銚子方面だけで、内房・外房方面は文字通り千葉が始発でして、東京から直接内房・外房方面には行くことが出来ません(スイッチバックする必要があった)。現在のJR千葉駅は、それを解決するため1963年に数百メートル東京方面に新設されました。当時国鉄千葉駅のあった場所には、現在千葉市民会館という建物があり、知らない人が見ると妙な所に妙な方向に走る道路(南側に東西に横切る道路とそれに交差する2本の道路)がある交差点に気づくはずです。また、すぐその裏手にはJR東千葉駅と言う、我が家に最も近く極めて小さい駅が(1965年に新設)あります。余談でですが、現在のJR千葉駅付近には機関車区があり、蒸気機関車の転車台や石炭・水を補給する施設や車庫が駅のホームから見えた記憶があります。蒸気機関車も小学生の時までは千葉県内で稼働しておりました。

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 さて緩行線とは各駅停車のことですが、1960年台初頭は千葉県内には特急とか急行は無く、準急というディーゼルカーが走ってました。私の出生地は母の故郷である現在の佐原市なので、準急に乗れば千葉から以遠は佐倉・成田とわずか二駅を経れば佐原に到着する事が出来ました。
 
 「成田線」とは比較的良く聞く線名ではありますし、実際滑走路問題で現在も問題になっている成田空港へJRで行く場合は、成田線へ乗り入れている総武快速か成田エクスプレスに乗ります。しかし、本来の「成田線」とは少々複雑でして(泣)、(1)佐倉〜成田〜松岸、(2)成田〜我孫子、(3)成田〜成田空港と、実は三つの路線があるのです。そして(2)の成田〜我孫子間(いわゆる「我孫子線」)が本線だったのですが、常磐快速線が乗り入れしているために現在は支線となり、(1)の佐倉〜成田〜松岸(銚子市)が本線となり、第三セクターとの合同事業で(3)の空港支線が存在し、都合3つのあたかも成田を中心として四方に足を伸ばした格好の路線であります。成田空港へのアクセスとして最も有名なのが「特急・成田エクスプレス」で、終点?は成田空港ですが、東京駅から大宮・高尾および横浜・大船(一部、小田原)へ分割(逆なら連結)して運転されております。

 話を戻すと、いわゆる「総武本線」は千葉以遠の路線を指すわけで、千葉〜佐倉〜成東〜八日市場〜銚子の区間のことです。しかし前回解説したように御茶ノ水〜千葉間の総武緩行線(各駅停車)と東京〜千葉間の総武快速線をも含めた路線が正式の総武本線となります。
 また脱線で恐縮ですが(爆)、話がまたまた複雑なのは、総武快速線は西は横須賀線、東は成田線といわゆる総武本線へ、更に南に内房・外房線とも乗り入れしているのです。一方各駅停車の緩行線も、基本的に三鷹まで直通運転され、朝夕は津田沼〜西船橋間を地下鉄東西線も乗り入れしております。

 現在の様に複雑?に変化したのはどうも電化と複(々)線化の影響らしく、佐原を経由する路線は銚子方面ではなく鹿島方面へのアクセス重視に、銚子方面は成東・八日市場経由の、いわゆる総武本線重視に移行したと思われます。佐原駅は直接の分岐駅ではないのですが(実際は次の香取駅で)、佐原〜鹿島サッカースタジアム間は鹿島線と呼ばれ、実際は鹿島神宮まで旅客は運行され、鹿島サッカースタジアム間は貨物のみが運行されているそうです。ですから私が子供の頃のようなにぎわいが佐原駅周辺に無くなってしまったのも、そう言う影響もあるのかもしれませんし、佐原始発という今はない懐かしい思い出になってしまいました。


 貨物線のことなので余分なのですが、実は総武本線は新小岩から北に延びる単線が存在します。これは小岩〜越中島貨物および金町へ延びる二つの貨物単線であります。国道14号線の新小岩付近を走ると、多数の立体交差に出合いますが、その一つに電化された線路があって、ずっと解けなかった謎がこれだったのです。

 昨晩錦糸町で千葉方面の快速電車を待っていた時、特急で「成東行き」というのを初めて見て驚きました。成東市民の皆様、ごめんなさい!さて、残るは千葉以南と私鉄です。(気の向くままにつづく)

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 キヤノンからDVDムービーが発表された。220万画素のDC20と、130万画素のDC10でオープンプライス(前者が約¥13万、後者が¥10万程度の予想)。
 キヤノンと言えば、現在デジカメで絶好調だが、実はムービーもマニア好みの機種を多く生み出しているメーカーでもあります。いち早くレンズ交換式ムービーや3CCDを搭載するなど、ムービーと言えば「Handy cam」とSONYが一番に名前が出てきますが、ビクター同様意外にマニアックなメーカーでもあります。


 さて、ビクターの名前を挙げたのには理由があり、つい先日HDD内蔵のムービーを発表しました。以前からこの手のムービーに興味を持っていたのですが、従来機はデジカメのようにCF typeIIスロットルを装備し4GBのMicrodriveに記録を行っていました。ただ、4GBで最高画質60分の記録時間は納得できるものの、バッテリーの実撮影時間がカタログで約30分と、常に複数の予備バッテリーか別売のベルトホルダータイプのバッテリーが必要になるというお粗末さに、もう引きまくり・・・。

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 ところが今度はなんと1.8インチのHDDを内蔵してしまい、某テスターに不評だった独特のカメラ部とグリップと一体にしたモニター部分の可動構造をごくありふれた形態にしてコストダウンをはかり出直しをはかったのだ。残念ながら最高画質で20GBのGZ-MG40で5時間近くの容量があるのに、付属のバッテリーは実撮影時間のカタログデータでわずか25分、ただバッテリーも他のメーカーのものとほぼ同じ装着形態にしたため、高容量の(つまり大きく重い)ものも発表されて、手持ちの最大のもので約2時間あまりと、なかなか魅力的なスペックである。

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 だが、一般に受けが悪くとも私はあの「妙な」グリップが結構気に入っているんだけど、でもあのままではモニターサイズの絶対的な大きさは限られてしまうので・・・やっぱり、残・念!

 で最初に戻ると、日立が筆頭になる8インチのDVDに直接記録するムービーが果たしてどの程度必要なのか(ケースバイケースだろうが)、私にはピンと来ないのですよ。ディスクのアクセスの容易さは理解できるものの、HDDだって基本的にディスクなんですから。だから、私にとってHDDが現在のベスト。さて、後は店頭に並んだ時に見に行くだけだな〜???

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千葉県内のJR線はその成り立ちからやや複雑でありまして、まず東京方面の総武線(快速)終着であるJR千葉駅を中心として二方向に分岐します。東に向かう成田・銚子・鹿島方面の成田線・総武本線と、南に向かう外房・内房線です。

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 少々脱線しますが(笑)、「総武線」というのも実は千葉県内では複雑で、恐らく「上総(かずさ)」「下総(しもうさ)」という房総(半島)と武蔵国(むさしのくに)とを結ぶ路線名なのですが、単に「総武線」と言う場合は三鷹〜千葉間の各駅停車の黄色い電車の「中央・総武緩行線」と東京〜千葉間の青い快速電車「総武快速線」(横須賀線へ乗り入れしている)を指します。一方いわゆる「総武本線」というのがあり、基本的に千葉〜銚子間を指すのですが、正式には「総武本線」は総武線各駅+快速と「いわゆる」総武本線を合わせた名称とのことです(あ〜まどろっこしい!)。で、更に複雑なのは、もともと「御茶ノ水」が起点だったのが東京駅乗り入れの結果起点が東京に変更になったものの、緩行線の錦糸町〜御茶ノ水間もそのまま移行したため、「総武本線」は東京〜千葉〜成東〜銚子+錦糸町〜御茶ノ水という少々変わった路線になったとのことです。さて、こういう路線が実は千葉県内にかなり多いことに驚くのですが、これはまた次回。


 

Lift Off !!

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 システム、オール・グリーン。ストライク・ブースター、発進どうぞ!

ってのは、半分冗談ですが・・・。そんな高揚した気持ちで中継を視ておりました!


 スペースシャトル「ディスカバリー」が日本時間で昨晩、打ち上げに成功。2003年の「コロンビア」の悲劇を乗り越えての打ち上げになります。

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 日本人宇宙飛行士野口さんがクルーになったものの、墜落事故と数度の延期と、国際宇宙ステーションとの位置関係をにらみながらの決断であったようです。残念ながら、断熱タイルの落下があった模様で、国際宇宙ステーションとのドッキングで、調査・修理を行うとみられています。無事に帰還することを、切にお祈りします!

SONYの戦略(1)

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  7/19のプレスリリースに依れば、ソニーはコニカミノルタとレンズ交換式デジタル一眼レフの共同開発に合意した。
 これにより、コニカミノルタからは交換レンズのαマウント規格とCCDシフト方式の手ぶれ補正機能およびAF/AE技術を、ソニーからはニコンへも供給している国内有数のCCD開発技術および「スタミナ」省電力技術に加え得意の超小型電子回路技術が活用される可能性が高い。

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 このニュースから私が考えることは、現在のデジタル一眼レフ市場は、キャノン・ニコン二大勢力により寡占状態にあり、オリンパス・コニカミノルタはかなりの減益による戦略の見直しを迫られている。一方コンパクトタイプ・デジタルカメラの分野では、商品はもはや目新しさに於いて限界を迎えつつある。高画質競争はもはや800万画素と一眼レフのそれを追い越してしまい、手ぶれ補正か高ISO機能、そして動画機能とありとあらゆる機能を搭載しつくした感がある。従ってこの市場も飽和状態となり、CCD供給メーカーであるソニーとしては新たな市場の開発に着手する必要が迫られたのだろう。

(付)デジカメジンの掲示板よりの情報で、αシリーズのズームはほとんどがタムロンのOEMで、そのタムロンはソニーが12%以上の株を保有。現在OEMでソニー富士フイルムのレンズを開発供給しているとのこと。

 ここで考察をしたいのだが、まずセンサーメーカーとしてのソニーの立場を考えると、現在のニコンをはじめとするキヤノン以外の主要デジタル一眼レフのセンサーを供給している立場もある。しかしここで、富士フイルムという存在が見え隠れする。デジタル一眼レフカメラの黎明期に、ニコンは富士フイルムと共同開発していたと言う経緯があるし、現在もFinepix S3ProのボディはD70系のものである。つまりセンサーメーカーとして、コンパクトタイプ・デジタルカメラ領域でライバル?である富士フィルムに対向する意味でも、またCCDセンサーを供給している領域を拡大する意味でも、ニコン以外のメーカーと手を組み共同開発することにより、より大きなシェアを獲得しようと考えたのではないか。

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 次に記録用メモリーとしての立場から、ソニーはかつて家庭用ビデオでそう(ベータ規格)だったように世界で唯一メモリースティックを採用するメーカーでもある。現在の市場では、プロ用&大容量はマイクロドライブに代表される小型ハードディスクとコンパクトフラッシュ、コンパクトタイプ・デジタルカメラではSDメモリーカードが主流になっている。そのSDカードでさえ、最近のデジタル一眼レフのエントリー機に採用する動きがある、となればますますメモリースティックはベータ規格の二の舞になりつつあるのだ。ソニーファンであればこそ、高価でしかも少数派のメモリースティックを容認してきたはずで(過去のソニーファンの立場からすればそうだ)、それが上位機種に使えないとなれば、もはや市場から消えていってもおかしくないであろう。そう言う意味で、是非エントリー機にも上位機種にもメモリースティックが使えることを一つのアピールとして使うことを切望したのだろう。
 最後にデジタル一眼レフにおける他社の戦略を簡単に見ると、もはや一人勝ちのキヤノンに関してはレンズは当然のこと、センサーまで自社開発しているメリットは当分動かない。一方ニコンは自社開発のLB-CASTが思わぬトラブルで、結局ソニーのCCDに頼ることになったし、KissD(N)対策でD50を投入したは良いが、(恐らくそれよりも廉価な機種も存在するであろうが)会社の規模もあり次の一手(D100後継機)に手が回らない可能性が高いと見る。そう言う意味で、キヤノンの後塵を拝することは残念ながら当分避けられないだろう。ペンタックスは小型化の独自路線を行ってるが、ニコン同様次の一手が難しい。普通に考えるならLXばりの高級カメラだが、体力的に望めないことは明白である。4/3規格で旗を振ったは良いが案の定誰も乗ってこなかったオリンパスは、かろうじて松下が共同開発に手を挙げた。しかし、小型化出来るはずのカメラボディが不要に肥満化したまま、魅力のないデザインと開発速度ではもはや誰も見向きもしなくなってしまう恐れがある。まあ、銀鉛の時代でもハーフ版はマイナーであったと言えばそれまでだし、OMの人気があったのも小型高性能+ニッチ分野へのシステム展開という企業の得意分野を生かせたからだが、小型でもなく、安くもない、しかもシステム展開も遅いんでは、いくら革新的なゴミ取り機能があってもそれだけだがから、生きる道が無くなるのも仕方ないかも知れない。コニカミノルタの売りはCCDシフト方式の手ぶれ補正機能だが、残念ながら開発が遅すぎだ。

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 散々苦言を述べたが、店頭でそれぞれのカメラを実際に手にとって見て覗いてシャッターを切ってみて欲しい。私のような素人でも、それぞれのカメラの特徴長所短所が感じることが出来る。特にキヤノン(1Dシリーズは別)・ニコン以外のカメラのファインダーの見やすさ・大きさは極めて良心的である。


 

無駄遣いの原点

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 またくだらないことで、散財だぁ〜<とほほ。
まあ、一杯やりながらネットサーフ&ながらテレビ、ってのが元凶なのだが・・・。

 だいたい、変な時に休日なんてあるのがいけない。全く予定がないもんだから、調子に乗って夜遅くまでゴルフの生中継を見ながら、某掲示板に書き込んでいて・・・、ついキーボードの手前に置いてあった缶チューハイがちょっちこぼれて(自爆)・・・とうとう、キーボードが不調に! 仕方なく手持ちのものを繋げてみたのですが、どうも具合が良くない。以前からちょっと不満だったこともあったので、昼休みにYodobashiに飛んでいって早速GET。現時点で机が狭いので、純正キーボードが意外にも良いのですよ。私の場合は数字も独立して欲しいんで・・・あ〜あ、全くしょうもない!

 しかし、今回のThe OpenのTiger Woods凄かった。もうダントツの強さ。
毎年思うんですがあんなコース、私にはもうあり得ない。ただでゴルフって計算できないのに、それさえ否定するコース。なんで、あんな所でプレーしたいと思うんだか?ねえ、マルちゃん!
 で一言言いたいんだけど、選手がプレーしている時にくだらない話・蘊蓄をたれるなよ、解説者とアナウンサー。特にテレビ朝日は解説者の選択に最初から間違っていると思うの。私の友人でもソイツを良く言う話は皆無。ネット掲示板でもアマチュアがプロの解説をしているのはおかしいとか、批判はものすごい。To張show、オマエのことだよ!!<激怒 一方GOLFチャンネルの方はアナウンサーの土居がやかましい。そう言う意味では、うるさ過ぎず広い視野からの解説をするという点では、NHK BSのメンツが流石と思わせます。
 
ついでに、いよいよ梅雨明けのようなので、デザインもちょっと衣替えで<wink!

 先週末は「臨床を語る会」に出席しました。あまり知っている先生が多くないので、居心地は良くないのですが、熱心さとマニアックな臨床の数々に圧倒される2日間でした。おまけに日曜日の午後からは、木更津の「かずさアカデミアホール」で講習会のお手伝いと、それなりにハードな日々で、帰宅してダウン状態でした。

 さて、更新を控えていたのは、私なりに気持ちの整理、と言うか気持ちを落ち着かせる期間を取りたかったためでもあります。

 語る会で、数少ない同学年の友人である千葉先生から、共通する友人というかお世話になった上野先生と言う1年上の先輩の若すぎる悲報を聞かされました。兎にも角にも、大変お世話になった方でした。医科歯科大学の医学部をご卒業され、船橋中央病院 船橋市立医療センター にお勤めと聞いておりました。とても近くにおりながら、卒業以来一度もお会いする事も叶わなかった無念さに心が張り裂けそうです。肝臓癌とのことで、さぞかし辛い最期だったのではないでしょうか。先生のご冥福をお祈り申し上げます。今は無くなってしまった、あの市川のグラウンドで、お互い違うユニフォームながら、白球を追った懐かしい日々を決して忘れません。  合掌

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